[プロフィール]
明治37年、四日市市浜田の真宗高田派佛法山崇顕寺(そうけんじ)の長男に生まれた。早稲田第一高等学校(現・早稲田大学)在学中に文学の道を志し、帰郷後も僧侶として生活を送る一方、作家活動を続けた。昭和7年出奔した母をモデルにした「鮎」を発表し作家生活に入り、昭和9年発表の「贅肉」で作家としての地位を確立、10年代の代表的作家となる。市井事ものから20年代は風俗ものになり、親鸞の思想へ入っていった。作品は多く、戦後の代表作に「厭がらせの年齢」「蛇と鳩」「青麦」「日日の背信」「禁猟区」「親鸞とその妻」「顔」「献身」「一路」「親鸞」「蓮如」(全8巻)「ひと我を非情の作家と呼ぶ」など。昭和31年日本文芸家協会の理事長に就任(後に会長)。25年には「文学者」を創刊し、若い作家を育てた。また、日本のゴルフ隆盛の功労者の一人で文壇界のゴルフの会、丹羽学校の校長。さらに作家の健康保険制度を確立したことでも知られる。平林たい子記念文学会理事長も務めた。昭和52年に文化勲章を受章し、翌年、その功績がたたえられ四日市市名誉市民となる。 61年頃からアルツハイマー病を発病、平成9年長女によって「父・丹羽文雄介護の日々」が出版された。
なお、昭和53年12月市立図書館内に同氏の記念室が開設されたが、その後、四日市市立博物館内に移り、「丹羽文雄記念室」として常設されている。
[プロフィール]
明治44年、三重郡富田村(現・四日市市富田二丁目)に生まれた。早稲田大学仏文科卒業。在学中から小説を書き始め、同人雑誌「東京派」「新科学的文芸」「桜」などに小説や評論を発表。昭和9年年早大卒後、小説「選手」によって、文壇に登場、以後、めざましい活動をし文壇に確固たる地歩を固める。昭和15年に応召、中国各地を転戦して、昭和21年に帰国。同年9月の『肉体の悪魔』と翌年3月の『肉体の門』で“肉体文学”の人気作家に。その後も『春婦伝』『女拓』『蝗(いなご)』などを発表したが、「肉体の解放こそ人間の解放」という従軍体験から得た主張は衝撃的で『肉体の門』など作品の一部は映画化されて評判を呼んだ。また、美術評論家連盟に所属し、美術品収集家としても知られた。関係資料の大半は県立図書館に収蔵・展示されている。[プロフィール]
大正6年、現・四日市市寺方町の大日寺に生まれる。4歳の時、住職だった父を交通事故で亡くし、大阪、東京を転々とする。15、6歳の頃から詩や文を書き始め、商社などに勤めながら詩作を続ける。昭和13年現役入隊。中国大陸を転戦し、一兵卒として7年間過ごしたことはのちの人生観、文学観に大きな影響を及ぼした。戦後は出版社勤務の傍ら、昭和36年戦場体験を描いた「螢の河」で第46回直木賞受賞。以後、「黄土の記憶」「悲しき戦記」などの戦場小説を次々と発表、昭和58年は「静かなノモンハン」で芸術選奨文部大臣賞と吉川英治文学賞をそれぞれ受賞した。戦後も思索をつづけ、昭和26~36年詩誌「山河」を主宰。他の著書に「かかる軍人ありき」「イラワジは渦巻くとも」「軍人たちの伝統」など、詩集「竹の思想」「伊藤桂一詩集」「連翹の帯」などがある。平成19年「詩集ある年の年頭の所感」で三好達治賞を受賞するなど、戦記物、時代小説、詩等さまざまな分野で活躍した。[プロフィール]
大正9年、四日市に生まれた。東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科在学中に丹羽文雄の知遇を得て小説執筆も開始。戦後千葉県・鴨川に移り、一時、漁師生活を送る。昭和21年鴨川中学に図画教師として勤務するかたわら、昭和25年から同郷の丹羽文雄主宰の「文学者」に参加し、小説を書き始める。吉行淳之介、安岡章太郎との交流から“第三の新人”と目された。昭和31年「海人舟」で第35回芥川賞を受賞。他の代表作に「飛魚」「盛粧」「黒南風(くろはえ)」「冬の嵐」「海」や妻のガンによる死を描いた「微笑」、エッセイ「犬馬鹿物語」「楽に死ぬのがなぜ悪い」、安岡との対談・エッセイ「齢八十いまなお勉強」などがある。鴨川を愛し、房総の漁師との交流生活など、文壇でも異色の傑物と評された。また日本画への造詣も深く、「大観伝」「近代日本画の巨匠たち」「菱田春草」「奥村土牛」など美術評論も手がけた。[プロフィール]
昭和6年、四日市市に生まれる。大分第一高校卒業。銀行勤務などを経て文筆業に入る。昭和58年奇想天外な近未来野球小説「球は転々宇宙間」で第4回吉川英治文学新人賞を受賞しデビュー。以後、「捕手はまだか」「一九四六年のプレイボール」と野球小説を発表し、実力ある新人として中間小説界に登場。その後「ホモ・アラビアンス」「潮もかなひぬ」「青磁のひと」など歴史小説、恋愛小説も発表している。平成7年「白球残映」で第113回直木賞受賞。[プロフィール]
昭和9年、岐阜県に生まれる。三重県立四日市高等学校から東京外国語大学を卒業。昭和34年新聞社に入社。通信部、社会部記者を経て、昭和41年に退職し、以後フリーに。昭和52年「太平洋の生還者」で第8回大宅壮一ノンフィクション大賞受賞。文藝春秋を主な発表場とし、著書に「支店長はなぜ死んだか」「現代史の死角」「サンリオの奇跡」「山より大きな猪」「狂気/ピアノ殺人事件」「複合大噴火1783年夏」やコラム「読むクスリ」「人・ひんと・ヒット」などがある。また筆名・古荘多聞で時代小説「瓦版屋左吉綴込帳」を発表。[プロフィール]
昭和15年、三重県安濃郡(現・津市)に生まれる。四日市市に転居し、三重県立四日市高等学校卒業、多摩美術大学油絵科卒業。雑誌『平凡パンチ』の表紙、ファッションブランド「ピンクハウス」のポスター、雑誌や書籍の挿絵、エッセイ、自身で企画・取材・写真撮影・編集まで手がけた季刊誌『アルネ』の発行など、その活躍は多岐にわたる。[プロフィール]
昭和31年、三重県四日市市に生まれ、伊勢市で育つ。立命館大学法学部卒業。モノローグの文体で現実と幻想の相関を追求。平成6年「タイムスリップ・コンビナート」で第111回芥川賞を受賞。他の作品に「皇帝」「居場所もなかった」「極楽」「呼ぶ植物」「虚空人魚」「硝子生命論」「母の発達」「東京妖浮遊」「てんたまおや知らズどっべるげんげる」「なにもしていない」「二百回忌」「太陽の巫女」「レストレス・ドリーム」「説教師カニバットと百人の危ない美女」「ドン・キホーテの『論争』」「幽界森娘異聞」などがある。[プロフィール]
昭和48年、三重県四日市市に生まれる。横浜国立大学卒業。2007年、『雲上都市の怪事件』で第17回鮎川哲也賞を受賞してデビュー。他の著書に、「豪華客船エリス号の大冒険」「妖精島の殺人」など。[プロフィール]
昭和49年、三重県に生まれる。デザイン学校卒業後、名古屋のデザイン会社に勤務。1998年、フリーイラストレーターを目指して単身上京。2003年、「150cmライフ。」でイラストエッセイデビュー。他の著書に、「150cmライフ。1~3」、「ひとりぐらしも5年め」「ひとりたび1年生」「愛しのローカルごはん旅」「30点かあさん1、2」「マラソン1年生」など多数。
[プロフィール]
昭和44年、三重県尾鷲市に生まれ、四日市市で育つ。三重県立四日市高等学校から中央大学法学部へ進学。卒業後、出版社に入社し、雑誌編集部などの経験を経て、フリーランスのライターに転身。
2008年『風待ちのひと』(改題『夏の終わりのトラヴィアータ』)でポプラ社小説大賞・特別賞を受賞しデビュー。
『ミッドナイト・バス』『彼方の友へ』『雲を紡ぐ』がそれぞれ第151、158、163回直木賞候補に。また、四日市市を舞台にした『犬がいた季節』は、2021年本屋大賞第3位、第34回山本周五郎賞の候補作となった。『四十九日のレシピ』をはじめ、多くの作品が映像化されている。
その他の著書に『カンパニー』『今はちょっと、ついてないだけ』『なでし子物語』シリーズ、『BAR追分』シリーズなどがある。2016年より四日市市観光大使。