2023年6月の記事一覧

職人とアーティストの狭間で

『リ・アルティジャー二 ルネサンス画家職人伝』 ヤマザキ マリ/著 新潮社 (市立・成人 726.1//22)

 最近様々なジャンルの本を読んできましたが、そろそろ原点回帰したいと自分好みの美術史に関する本を探していた際に、ふと目についたのがこの本でした。
 表紙にはいかついオジサンたちの顔が並び、作者は『テルマエ・ロマエ』などで知られるヤマザキ マリさん。
 イタリア、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で学び、長らくイタリアで暮らした作者は、様々な制約の中、自身がやりたいことを実現しようと奮闘する画家たちを人間臭く、生き生きとした姿で描いています。
 誰もが毎日祈りたくなる美しい聖母マリアを描こうとする画家。遠近法に全てをささげた画家。当時最先端であった油絵の技法でまるで生きているような人物画を描こうとした画家。イタリアルネサンスを彩る偉大な人物が続々と登場し、出会い、影響を与え合います。
 ボッティチェリやレオナルド・ダ・ヴィンチのようなメジャーどころだけではなく、一般にはあまり知られていないものの個人的に思い入れのある画家も多数登場したのもうれしいポイントでした。

 いかに抜きんでた能力を備え、優れた作品を世に出しても、当時はまだ一介の職人にとどまらざるをえなかったルネサンスの画家たち。与えられた仕事を完遂する職業人としての生き方と、今日的な「アーティスト」としての自我の目覚め。その両方に触れることが出来る一冊です。

しんどいあなたへ ―戦中、戦後、平成の“生きづらい”女たち―

「白痴」『白痴』 坂口安吾/著 新潮社 (市立・成人 B913.6/サカ/12)などより)
杳子『古井由吉自撰作品 1』 古井由吉/著 河出書房新社 (市立・書庫3 913.6/フル/12)より)
『コンビニ人間』 村田 沙耶香 文藝春秋 (市立・成人 913.6/ムラ/16)

 近年、生きづらさに悩む人が増えているという。
生きづらさをテーマにした本が数多く出版され、市立図書館でも多く所蔵している。

では文学の世界では、生きづらさを抱えた女性たちを、どう描いてきたのだろうか。

坂口安吾「白痴」は、戦時下の東京を舞台にした小説である。
新聞社に勤める井沢という主人公の男と、ひょんなことから暮らすようになった「白痴の女」は、戦中に暮らす生きづらさを抱えた女性である。
「然るべき家柄の然るべき娘のような品の良さで、眼の細々とうっとうしい、瓜実顔の古風の人形か能面のような美しい顔立ち」と描写される彼女だが、「特別静かでおとなし」く、「何かおどおどと口の中で言うだけで、その言葉は良くききとれず」、「料理も、米を炊くことも知らず、やらせれば出来るかも知れないが、ヘマをやって怒られ」てばかりであった。
空襲が繰り返される日々の中で「配給物をとりに行っても自身では何もできず、ただ立っているというだけ」という彼女は、怒鳴るばかりの義母と頼りにならない夫から逃げ、
隣の家に住んでいた井沢のもとに身を寄せるようになった。
しかし、「配給の行列に立っているのが精一杯で、喋ることすらも自由ではない」彼女を「まるで俺のために造られた悲しい人形のようではないか」と考える井沢との生活は、彼女の生きづらさを解消したわけではないだろう。


1970年に芥川賞を受賞した、古井由吉「杳子」に登場する蓉子もまた生きづらさを抱えた女性である。
大学生である主人公Sは登山をしている途中に、谷底でぼんやりと岩の上に座っていた杳子と出会う。
杳子は会うたびに主人公に違った印象を与え、彼女の話はどこか要領を得ない。
彼女は自身のことを「わたし、自分の病気のことをひとに喋ると、いつでも嘘をついてしまうんです」と語る。
そんな彼女に魅力を感じていたSだったが、約束と違う行動をとることのできない彼女と行動を共にすることに限界を感じ始める。
まるで彼女の保護者かのように振る舞うSだが、病気を超えて彼女自身を理解しようとする様子はない。


「白痴の女」も杳子も、男性の視点から描かれる。彼女たちの生きづらさは、男性と出会っても理解されず、解消されることもなかった。。
しかし、生きづらさを抱える女性を真っ向から描いた作品が、平成の世に現れた。
2016年に芥川賞を受賞した『コンビニ人間』である。
主人公である古倉は、お手本のない人生に生きづらさを感じていた。
大学生の頃、新装開店するコンビニにアルバイトとして働きはじめたことで、「コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない」ほどにコンビニ店員に順応する。自分の性格も、アルバイト仲間からお手本に作り上げた。
彼女は、白羽という男と出会ったことで、コンビニ業務以外のことを上手くこなせないという
“生きづらさ”と改めて直面することになるのである。
古倉は白羽に、助けも理解も求めない。彼女は自分の生きづらさを粛々と受け止めるのだ。


戦中、戦後、平成と変化してきた時代の中で、同じようで異なる生きづらさを抱えながら生きる彼女たち。
そんな彼女たちの生き方から、生きづらさに立ち向かうヒントがあるかもしれない。

キモノの世界にようこそ

『召しませキモノ』 スタジオクゥ/ 著 イーストプレス (市立・成人 593.8//23)

 何十年と箪笥の肥やしになっている着物、もったいないなあ、着付け習いに行こうかなと思いつつ、行動に移す事も出来ずにいる私。

 そんな私の目に留まったこの本のタイトル、着付けの本かな?と思わず手に取って見たところ、着物のある生活の楽しさを描くコミックエッセイでした。
 着物や小物に関するお店の紹介だけでなく、帯や草履など和服に携わる職人の方の思いなどをきれいな写真やイラストで描かれています。
 さらに、綿と真綿とは違うことや、着物や帯の柄には意味があることなど、和装に関する知識も盛り込まれています。
 また、各章のはじめにその土地で親しまれている有名なお菓子についての紹介など興味深く楽しめます。
 和装の世界を気軽に感じて、着物を身近に感じることが出来る一冊です。

首を洗って待っていた! 20年目の<戯言>シリーズ。

『キドナプキディング』 西尾維新/著 講談社 (市立・成人 B913.6/ニシ/23)

首を洗って待っていた! 20年目の<戯言>シリーズ。



中学高校生の頃に、『クビキリサイクル』から始まる戯言シリーズにハマり、西尾維新にどっぷり浸かった……という青春を送った方も多いだろう。
そんな皆様に朗報である。
戯言シリーズ待望の続編、『キドナプキディング』がついに刊行された。

今回の主人公となるのは、戯言シリーズで語り部を務めた戯言遣いと、彼の相棒であった玖渚友の娘、玖渚盾(くなぎさ じゅん)である。


     私の名前は玖渚盾。誇らしき盾。


この始まりの一文から既に西尾維新は全開である。
「誇らしき盾」という自己紹介に潜む“矛(ほこ)”“盾”の文字。
そして何より、シリーズを読んできた読者に衝撃を与えたのは、“じゅん”という娘への名付けだ。戯言遣いと友に多大な影響を与えた友人、哀川潤にあやかったことは明白だ。
人類最強の請負人、哀川潤と澄百合学園に通う女子中学生、玖渚盾。
“じゅん”コンビがどんな冗談(kidding)みたいな誘拐(kidnap)に興じるのか、ぜひご覧いただきたい。

新本格ミステリファンへのサービスが満点の目次も見逃せない。
章タイトル「悪魔が来りて人を轢く」「城王蜂」「玖渚家の一族」は横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』『女王蜂』『犬神家の一族』のオマージュである。
では果たして内容は……?

すべての西尾維新ファンへのご褒美のような一冊であるが、
西尾維新デビューにもぜひおすすめしたい一冊である。